動き出した僕の新しい人生
僕の名前は、佐藤陸也。
広島県出身の35歳。
20代の頃は外資系商社マンとして世界各国を飛び回った。
人並以上の地位と名誉を手にし、怖いものなど何一つない。
毎日が戦いのような日々を過ごしていたそんな僕が今現在なにをしているか…あなたは想像つくだろうか。
このサイトの雰囲気から既にお気付きの方もいるだろうが、僕は今、農業を営んでいる。
日頃口にする食べ物は”一から僕が育てたもの”全てそうさ。
自給自足生活に限りなく近い生活。
※ちなみにこのサイトに載っている写真の男性は僕ではありません※
世界を相手に仕事をしていた僕がなぜ今の人生を選んだのか。
みんな不思議に思うだろう。だってこれまで僕のしてきたことって真似したくても真似できないようなことばかりだから。
お金に困らない生活。好きなものはなんでも買える贅沢な日々。そんな生活を自ら手放して”農業”の世界に足を踏み入れるなんてさ。
普通の人は理解できないだろうね。
なぜぼくが新たな人生を選択したのか。ここで少し紹介していこう。
この先の人生に迷いを感じている人にぜひ読んでもらいたい。
お金があっても満たされない日々
僕の人生って一体……何なのだろう。
今でも忘れない。
僕が人生そのものに違和感を抱き始めたのはちょうど今から4年前の冬。
ロンドン主張から帰る飛行機の中で見たとある映画を見たのがきっかけとなった。
365日仕事のことしか考えていないような僕が、出張帰りに映画を見ること自体あり得ないことだが、僕はその時いつも以上にひどく疲れていたんだ。
映画のタイトルは伏せておくが、簡単に言うと仕事に明け暮れていた主人公が忘れかけていた[人と触れ合うことの大切さや家族愛の素晴らしさ]に改めて気が 付いてこれまでとは180度違った新たな人生を歩んでいく。そんな話だったな。
そのあとは、ある女性に出会って次第に惹かれていく。その女性と結婚し、家族を作りながら本当の幸せが何か知ることになる。
普段は映画に感情移入をすることなんて考えられない僕だけど、(友人にはよく冷酷と言われる)
その時はなぜかその映画にどんどん引き込まれていくようだった。
なぜあの時あんなにも不思議な感情を抱いたのかは今となってはわからない。本当に突然だったんだ。たぶんビッグプロジェクトが重なって疲れていたのだろ う。そう思っていた。
日本に戻ってから、またいつもの生活に自然と戻っていたのだけど、なぜだろう。あの時の感情がなぜか僕の中から消えないのだ…
それからの僕は自分の中のたくさんの感情に板挟みにされているようで酷く嫌悪感を抱くようになった。
なんだろう。この気持ちは…仕事をしていてもこれまで感じたことのない違和感に戸惑いを覚えるようになった。
稼ぎは十分すぎるぐらいあったし、ビジネスマンなら誰しもが憧れるような地位も築けていた。
なに不自由のない僕の人生。
それなのに…何故か僕は満たされないでいた。
失恋した人や大切なものを失った人がよく「心に穴が開く」という表現を使うが、まさに今の僕の中には"ポッカリ"と大きな穴が開いていた。
その穴は次第に大きくなるようだった。
この満たされない思い・違和感や嫌悪感を今すぐ拭えたらどんなに楽だろう…
僕は日々、葛藤していた。
あの時見た映画のせいで?僕はわけがわからなかった。
とにかく、いつまでも満たされない思いを抱えたまま毎日を過ごしていたのだ。
人生の分かれ道
相変わらず僕の満たされない日々は続いていた。
しかし、転機は突然訪れる。
久しぶりに広島の実家の母から電話があった。
これまでは着信があってもなかなか折り返さずにいたのだが、何故かものすごく母のことが気になって、めずらしく折り返してみた。
母は昔からものすごく過保護だった。
一人っ子の僕が心配で仕方ないのだろう。
昔はそんな母が鬱陶しかった。
大学進学が決まり、一人暮らしを始める頃には母親から解放されることが嬉しくて仕方なかった。
いつも僕を気にかけていた母だったが、僕が東京に出てからは自然と連絡もしてこなくなった。
せいぜい連絡してくるのは僕の誕生日くらい。
仕事人間の僕は正月すら実家に帰らなかった。
母はきっとさみしい思いをしていただろう。
一人息子なのに何という親不孝者なんだと我ながら思う。
そんな母からの電話。
他愛もない話だろうなんて思いながら、折り返してみた。
いざ電話をかけ…母が出る。
「あんたぁからっきし帰ってこないのぅ。元気にしょーるの?」
全く帰ってこない僕を心配しているがその声はどこか元気がなかった。
なぜだろう。この胸騒ぎは…
次の母の言葉で、僕の頭は真っ白になった。
「……今日おとんが倒れたんよ、そのまま病院運ばれたんじゃが………おとんだめじゃった」
うそだろ…。
その時の僕は後悔しかなかった。
時間は戻るはずないのに。
もっと帰っていれば。もっと電話してあげてれば。もっとちゃんと話していれば。
もういなくなってしまった大切な人。
過ぎた出来事はいくら後悔しても元通りになることはない。
頭ではわかっているはずなのに、全く整理ができなかった。
父が亡くなり、僕は数年ぶりに広島の実家に向かった。
母は思ってより元気そうだったけど、昔よりずいぶん小さくなった気がした。
葬儀を終え、数年ぶりに会う親戚たち。
父の弟にあたる叔父に、突然こんなことを言われた。
「あんやんの畑、はぁみててしもうたわいね……」
叔父は、僕の父の営んでいた農業を継ぐ人がいないことから、父の畑がなくなることを残念そうに話していた。
今思えば、このことで僕と父の溝は大きくなった気がする。
もう15年以上前に父と決着のついた問題であったが、思い出したくもない辛い日々だった。
農業を継いでほしいと願う父と、それを拒む息子。
よくある話だ。
僕は、農家の息子であることをよく隠していた。
父の仕事を恥じていたし、自分がその仕事を継ぐなんて絶対に御免だと。
そんな影響もあってか、昔から都会への憧れが人一倍強かった。
今となっては何故あんなにも農家の息子であることを恥じたのか思い出せなかった。
恥じるどころか亡くなってしまった父を目の前に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「父さん、ごめんなさい」
心の中でつぶやいたその時。
何かが変わっていくのがわかった。
ピンと張った糸がすーっと緩むように。
カチカチに凍った氷がゆっくりと溶けていくかのように。
今、僕は大きな決断を下さなければならない気がしていた。
そんな時、僕はある人物との出会いを果たすことになる。
招福の扉を通じて出会った明庵先生
僕はこれまで何をする時も自分ひとりで決めてきた。
ひとりで悩み、ひとりで解決する。
他人に相談するだけ無駄だと考えていたのだ。
しかし…この時、僕は自分の変化に気が付いた。
無性に誰かの助言が欲しいと感じていたのだ。
これまで何でも一人で解決してきたからこそ、いざという時に相談できる相手がいない事に気が付く。
おもむろに携帯電話を取り出し…
悩み相談とキーワードを入力して検索していく。
するとある占いサイトが目に入ってきた。
そのサイトの名前は「招福の扉」
今までの僕だったら1000パーセント気にもしなかった占いサイト。
名前と生年月日を入力し…あれよあれよと登録が完了してしまった。
そこで僕が出会ったのは「明庵先生」だ。
僧侶ということで他の先生より信頼感もあった。
僕は現状の相談をしてみた。
大手の外資系商社マンとして働いていること。
仕事命でがむしゃらに生きてきたこと。
最近父が亡くなったこと。
父が生前大切にしていた畑を守る者がいなくなったこと。
理由はよくわからないが、このままの生活を続けてはならないと危機感を覚えていること。
明庵先生は丁寧に僕の悩みを聞いてくれた。
そこで、明庵先生にある助言をいただいた。
それは、10年後、20年後どんな生活をしていたいか考えなさいということだった。
僕は自分に問いかける。
10年後も高級マンションに住んでいたいか。
お酒や女性に囲まれて、過ごしていたいか。
お金が絡み合う汚い世界で自分の地位を名誉を守り続けたいのか。
答えはノーだった。
僕は今の生活をつづけたいわけじゃないんだ。
田舎暮らしのせいで東京に過度な期待を持って生きてきた。
でも、実際に全てを手にしてみると東京での暮らしは僕の本当の幸せではなかったんだ。
温かい心・人との絆というものを僕はすっかり忘れていたのだ。
明庵先生のおかげで大切なことに気が付くことができた。
それからの僕は、仕事を辞め広島に帰った。
理由は父が大切に守っていた畑だ。
今度は僕が守る番。
農業のことは何も知らなかったが、一から勉強した。
朝から晩まで僕の頭には農作物のことしかないくらいだ。
僕は今、広島で一番美味しいクワイを作っている。
この”一番”に間違いない。
広島で生活する中で大切な人に出会い、守るべきものもできた。
数年前、ロンドン主張の帰りに得た違和感。
あれから僕の人生は大きく変わった。
僕がここまでやってこれたのは、絶対にあきらめなかったからだと思う。
でも、僕だけの力ではここまで来ることはできなかった。
明庵先生の助言のおかで、僕は人生を切り拓くことができた!
招福の扉よ!ありがとう!!